下級てき住みやかに

【人の罪】命が助からない人を殺める行為はやはり罪に問われるのだろうか

長年に渡り、寄り添った夫、または、妻を病気の痛みから解放するために、殺めてしまったという報道を聞く。この報道を聞くたびに過去の自身の行動に心が揺らぐ。

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全ての事件が正論であるとは確かにいいがたい。

しかし、中には自信に満ち溢れ、あえて罪を受けようという人もいる。日本は法治国家であり、法令順守というのも頷けるが、愛するがゆえの罪とはやはり罪に値するのだろうか。

長年に渡り、妻に迷惑をかけてきた男の最後の罪滅ぼし。妻への償いを刑法に変えることへの決断。

これには、申し訳ないが男の最期の生き様さえ感じてしまう。

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私は、20年前に父を末期癌で亡くした。

最終的には尊厳死に全てを委ね、父はホスピスで最後を全うした。

死期が近づくにつれて、末期癌の痛みは想像を絶するものとなる。痛みを緩和するはずのモルヒネですら効かない。

父は私に一生のお願いをしてきた。
「痛みに耐えれない。全てのチューブを抜いて殺してくれ。これじゃあ生殺しだ。頼む。」

彼が放った一生のお願いとは、お菓子をせがむ子供の願いではない。紛れもなく私に依頼した一生の願いに値する。

ホスピスへの入所は、既に医療行為が事実上終わったことを示す。父についているチューブ類は、病状を回復させるためのものではない。単なる尊厳死を全うするための緩和装置にすぎない。

水分や栄養を供給するための点滴、呼吸を補助する吸入装置、痛みを緩和するモルヒネ。数週間から数か月間続く痛みならば、短時間で解放されたかったのだろう。

これが、法的に全くの白であると断言していただけるのならば、何も考えずに全てのチューブを抜いたと思う。グレーゾーンである行動は、受ける側としても安易に承諾することはできない。

患者と家族の苦痛を和らげる目的であるホスピス。

患者の側に出来るだけついてあげて欲しいと病院側からはお願いされる。苦痛を見続けるのは並大抵なことではない。

もし、仮に親の意思を尊重し、全てのチューブを抜くことで生命を著しく危険に晒した場合は、このような状況を作りあげた病院側も共用の罪に問われないのかすら疑問視する。

人は感情で動く生き物だ。


私は、父に「人殺しにさせないでくれ」と逆に一生のお願いを申し出た。
父は、「悪かった」と言って、その数日後に、昏睡状態に入っていった。

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結果論として、正しい選択だったのだと思う。

一時の感情に流されなかったことに今更ながら安堵している。おかげで、私はマスコミに騒がれることなく無事平穏に生活をおくれているのだから。

しかし、父の一生のお願いを、逆の一生のお願いとして返してしまったことも、心の中では少なからず悔いている。

子供達の将来を天秤にかけて、私は何もせず、ひたすら父の生殺し状態を見届けることを決意した。

もし、同じような事態に幾度も直面した場合、必ずしも、同じような平常心が保てるかについては正直自信を持つことが出来ない。

法の決定においては白と黒の二択しかない。

非常に難しい問題なのである。