下級てき住みやかに

介護と鬱 親がいない安堵感と親がいる悲壮感

何となく親不孝的なタイトルではある。

f:id:igadget:20170207002908j:plain

仕事場の後輩が、親の介護に疲れ果て鬱になってしまったらしい。

必要以上に私に対し、いいね。いいね。を繰り返してきたのを思い出す。

いいね。と言うのは Facebook だけにしてもらいたいのだ。

【Sponsored Links】
 

親がいないという安堵感

10代の時に母親が病死、20代の時に父親が病死。

人生はまさに驚きの連続であり、幸も不幸も常に隣り合わせであるから仕方がない。

30代までは、ご苦労なさったでしょうと労いの言葉が、シャワーのように浴びせ続けられ、歳を重ねる毎に周囲の言動が反転するから不思議発見なのだ。

親の寿命レベルのデオキシリボ核酸、素直にDNAを常に警戒しながらも、無事に辿り着いたレベル40の壁。

現在においては、あなたには親がいないのだから介護の苦労なんて何一つわからないでしょうと揶揄される始末。

環境が変われば毒を吐きたくなる気持ちもわからなくはない。

しかし、物理的に観たくても観れない諸事情だって人の生きる道にはある。
親がいないことに一喜一憂して、安堵の表情を浮かべているとは決して思われて欲しくはないのだ。

 

親がいるという悲壮感

 3人姉妹の末っ子を嫁に貰い受けたわけだが、義理の母親は重度の認知症になっている。
一番上の義姉は親の病気とともに疎遠となり、事実上のリタイヤ宣言を発動中。
二番目の義姉は県外に出ており、物理的に困難という理由からフェードアウト。
必然的に、私と妻で介護にまわる羽目になるのだが、年頃の娘達もいるわけで施設に入れざるを得ない。
脳の萎縮は進行していくものの体力は有り余っているから認知症は厄介なのである。


暴れる、噛む、蹴る、泣く、逃げる。


国語辞典のニューアンス的に人が嫌がりそうな動詞が全てにおいて該当してくる。
結局、本能剥き出しの酷い状態から、施設側も当人のためだと連呼し追い出され、現在は精神科病院にて療養中。


精神科病棟は「ブラックジャックによろしく 9巻」で得た情報しかないではないか。


義理の母親には、あんた誰? 死ね!と浴びせられる日々。それでもね、お義母さん。誰かが観なければいけないのですよ。中々の孝行息子です。多分ね。

 

思い出したかように不意に顔を出し、正論を連呼してくるお義母のお身内。通称、何様御一行。
『親を牢屋に入れやがって。君達は一体何を考えてるんだ。血はかよっているのか』


血がかよっているから生きている。吠えるだけなら私にだって、我が家の愛犬にも出来る。

何様御一行が吐き捨てる台詞は、いつもウケる。

自由に飛べる翼があるのならば渡り鳥にだってなりたい気分。

申し訳ないが、
面倒を見る = 24時間付き添うは出来ないのだよ。

【Sponsored Links】
 

人生を捨てるつもりは微塵もない。カミングアウトせずに窓口で常にスタンバイしているだけでも自身を持って私は偉いと宣言出来る。

あなたにはわからないと言い返したいところではあるが、これを言うと、親がいない安堵感と同じ立場になるわけで断じて言わない。

お義母さんは娘も義理の息子も不幸せになる事なんて望んではいない。

上手く伝える能力が消失したわけで気持ちは痛いくらいにわかる。
私も一応、血のかよった人の親だから。

子供達の人生は壊したくはないのだ。

あとがき

40代に入ると突然降りかかってくる介護の問題。綺麗ごとではなく、辛いし、泣きたいし、逃げ出したいし、姨捨山さえ欲しいときもある。それでも自分なりに、前を向いて行動し、自分の出来る範囲で頑張っていくのだ。あの人は羨ましいなと思っていても、家庭を覗き込めば、それぞれの辛さは持っていると思います。辛いときには叫んだっていいよね。